マーケティングの非常識を、常識に。

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デジタルとアナログの融合に挑み、日本郵便はいま、新たなビジネスを創出している。その立役者が、マーケティング畑30年の鈴木睦夫氏だ。ダイレクトメールの市場を活性化させるために、鈴木氏が目をつけたのは、Eメールなどのデジタルチャネルだった。マーケティング業界の非常識から生まれた、日本郵便発のムーブメントを取材した。

100分の1の掛け算で、
1万分の1の存在になれ。

鈴木は、異色のキャリアの持ち主だ。1988年、P&Gに入社。その後、紆余曲折を経て、IMJ、日本コカ・コーラ、日本郵便と転職のたびに、異業種を渡り歩いてきた。
「ずっとマーケティングに、携わってきました。マーケティングの素養は生かされているけど、デジタルからアナログへ回帰しているようなキャリアですよ」
同じ職域で転職を繰り返してもスキルの積み上げはない。デジタルとアナログ、どちらもやるから稀有になれる。鈴木の理論はこうだ。
「ある分野で100分の1になれば、異分野との掛け算を繰り返すことで1万分の1の存在になることができると思う」
世界最大の消費財メーカーであるP&G、デジタルマーケティングをリードするIMJ、飲料大手のコカ・コーラ。異業種で培ったノウハウの「掛け算」が、今まさに、鈴木が取り組む”新規”事業を生み出した。
「新規事業なんて、厳密にはないんですよ」
鈴木はそう前置きをする。
「ゼロイチができるのは、ごく一握りの天才だけ。今ある技術を掛け合わせて、新しい組み合わせをつくるのは、誰にでもできる。こっちの業界の常識は、あっちの業界の非常識だったりする。私がやっているのは、その掛け算なんです」

デジタルとアナログが、
結びついた瞬間。

“新規”事業における鈴木のミッションは、一口に言えばダイレクトメール市場の活性化だ。郵便の市場規模は、電通総研の調べによると、3600億にものぼるという。
「日本の広告費約6兆3000億円のうちの、8.6%をダイレクトメールが占める。その制作費を含めれば、2兆円弱の市場規模。新聞よりも大きい。私も実際に携わるまで、市場としてこんなに大きいとは知りませんでした」
「3600億の市場を盛り上げるのに、仮に3000万、5000万の予算がついても焼け石に水。いかにエコシステムをつくり、ステークホルダーに勝手に動いてもらうかが、肝になると考えました」
市場のホワイトスペースは、どこか。誰にニーズがあるか。鈴木は徹底的に考え抜いた。シーズをニーズに、ニーズをウォンツに変えていくのがビジネスだ。その起点となるシーズの顕在化が、何よりも難しい。人、モノ、カネ、時間。発想を自由にするために、それぞれの前提条件を鈴木は一つずつ外していった。
「日比谷公園をぐるぐる歩きながら、ずっと考えていました。ああでもない、こうでもない。で、ふと疑問が浮かんだのです。そういえば、デジタルの業界にいたとき、少しでもDMのことを考えたことがあったかと」
鈴木自身、マーケッターとして、デジタルチャネルを得意とする業界にいた時、クライアントにDMを提案した記憶がなかった。WEBメディアと紙メディア。いずれもマーケティング活動における重要なツールにもかかわらず、業界によって分断されていた。デジタルとアナログ。その二つが、鈴木の脳裏で結びついた瞬間だった。こうして、「フルチャネルコミュニケーションプロジェクト」の構想が生まれることになる。

業界の壁、企業間の壁を
超えていく。

「フルチャネルコミュニケーションプロジェクト」とは、マーケティングオートメーション(MA)を活用し、Eメールなどのデジタルチャネルとダイレクトメール(DM)を組み合わせ、その効果を検証していくプロジェクトだ。
「いくらDMには効果がありますよ、と日本郵便が宣伝しても、説得力がない。だからMAベンダーを巻き込んで、MAベンダーと、そのユーザー企業の参加を募り、効果検証をすることにしました。まずは成果を体験してもらおうと。いい結果が出れば、彼らが自然と語り始めると思ったのです」
EメールとDMを組み合わせる、という発想自体は、決して新しくはない。だが、今まで誰も同様の取り組みをしていなかった。その理由を鈴木はこう分析する。
「アイデアを思いつかなかったわけではなくて、単に実行するのが、面倒だからでしょう。それに、DMは圧倒的に高くつくと思われている」
事実、DMには3つの弱点がある。スピード、コスト、そしてトラッキングだ。顧客をWEBに誘引できなければ、追跡ができず、効果検証も難しくなる。DMからWEBへ。オフラインとオンラインの接続部分に、懸念があった。
「仮にDMにQRコードがあっても、かざす人はごく一部。ネットでキーワード検索をするのも、やはりハードルがありますよね。でも、DMを送付した後に『お手紙届きましたか? 』とEメールをすると、Eメールの開封率が上がるという結果が出ました」
手で触れたものは記憶に残りやすい。もらった手紙は、案外人は覚えているのだと、鈴木はいう。実際に、DMとEメールの組み合わせは、想定以上の効果をあげている。
「これまでメール中心のマーケティング施策を行なっていたSansanでは、実証実験の結果、DMとメールの組み合わせはメールのみより1.8倍のクリック率、1.5倍の資料アクセス数になりました」
クリック率や、資料アクセス数の増加だけでなく、手元に残るDMならではの波及効果もあった。
「送付対象者と同じ企業の別の方からレスポンスが来るケースもありました。開封されても、一瞬で閉じられてしまうメールのみでは、そういう効果は得られなかったでしょう」
マーケティングオートメーションによって、精緻なターゲティングが可能になった。さらに、1枚ずつ違う内容が刷れるバリアブル印刷によって、ターゲットにあわせたDMを個別に送ることができるようになった。各分野の技術の発展が、フルチャネルコミュニケーションの後押しをしている。
「技術はすでにあるんですよ。でも、それを分断しているのは業界の壁や企業間の壁。だからそこを僕たちがつなげているのです」
前述のSansanをはじめ、大塚製薬、富士フイルムなど、プロジェクトに賛同する企業は増えている。
「大きな山は動き出しています。Eメールとダイレクトメール。デジタルとアナログ。バーチャルとフィジカル。それらを組み合わせることは、世の中全体をみても、一つのムーブメントになっていると思いますね」

デジタルマーケティング
という言葉の罠。

デジタルマーケティングが台頭する今、鈴木はその言葉の一人歩きを危惧している。時代を経ても、マーケティングの原理原則は何も変わらない。鈴木は強調する。
「いつの時代も、人間の本質には変わりありません。喉が渇いたら水が飲みたくなるし、興味を持てば深く知りたくなる。だから、情報をとる経路が変わった、というだけで、マーケティングの本質は何も変わらない。何を、誰に伝えるか、というのが、マーケティングなわけです。どのように伝えるかが本質ではないんです。」
デジタルツールの発達によって、マーケティング業界は確かに様変わりした。レスポンスが手に取るように分かるからこそ、PDCAサイクルが回しやすくなった。必然的に、 デジタルマーケティングありきで、マーケティング活動が行われていく。
「デジタルマーケティングなんていう、マーケティング手法は、本来ない。次々に新しいツールが生まれる。次々に専門用語が生まれる。ソリューションを売り込むために、言葉の定義もどんどん変わる。業界の中だけで通じる言葉で、会話が繰り広げられていく。ある種、非常に内向きで、閉じた世界になっていると感じます」
「たとえば、メール配信の許諾を得ている顧客は、平均すると全体の3割くらい。さらに開封率は、うまくいって2割。掛け算すると、リーチできるのは全体の6%なんです。100人のうちの6人。ここだけでマーケティングが完結していいの? 後の94人はどうするの? 94人の中に優良顧客がいたとしても、購入後に御礼も言えなければ、離れてしまう前に、引き止めるすべもないんです」
鈴木が指摘するのは、効率至上主義の怖さだ。
「数字だけ見ていると、やった気になるでしょう。CPC(クリック単価)の効率がいいところにばかり、フォーカスされてしまう。対象者をスケールアウトする観点が抜けてしまう。でも、ビジネスって本来、率じゃなくて額ですよね」
データドリブンは、マーケティングの本質。だが、そこを履き違えて、ツールドリブンになってはいけないのだと、鈴木はいう。
「フルチャネルコミュニケーションプロジェクト」は、近年感じていた業界の課題に対して、鈴木なりに出した一つの答えでもあった。

楽な方は、選ばない。

P&G、IMJ、コカ・コーラと来て、なぜ鈴木は日本郵便を選んだのか。最後に、鈴木に聞いてみた。
「お話をもらったとき、50歳でした。全く経験したことのない業界。しかも、ものすごい実績を買われて役員になってほしい、と請われたわけじゃない。現場でチャレンジするというのが、面白いなと。ある種、ウケ狙いです」
楽な方は、あえて選ばない。コンフォートゾーンに入ると、途端に気持ち悪くなるのだと、鈴木は笑う。
「一つの仕事、一つの会社で、楽になる瞬間ってあると思うんですよ。どのスイッチを押せばいいか、わかる瞬間。そうなるともう、気持ち悪い。人間易きに流れる性質がありますけど。コンフォートゾーンを突き詰めたら、その会社でしか通用しなくなるでしょう? だから、ゾーンに入ったら僕の場合、次に何をするか、しか頭に浮かばなくなるんですよね」
鈴木 睦夫(Mutsuo Suzuki)
日本郵便株式会社
郵便・物流営業部 担当部長
P&Gでキャリアをスタートし、IMJ、日本コカ・コーラと一貫してマーケティングおよびデジタルマーケティング領域を歩む。2014年度より現職。
公式サイト:http://www.post.japanpost.jp/index.html

TEXT BY 山田知奈(株式会社パラドックス)

PHOTOGRAPHY BY 今井裕治